『ゲド戦記』って、ジブリ作品の中でもなんだか評価が分かれる作品ですよね。「あらすじがよくわからない…」「観た後の感想が『?』でいっぱいだった」なんて声もよく聞きます。


確かに、主人公アレンがいきなり父親を殺すシーンから始まったり、物語の展開が唐突だったりと、一度観ただけでは「意味がわからない!」と感じてしまうのも無理はありません。
でも、なぜ『ゲド戦記』は賛否両論を呼ぶのか、その理由を知ると、また違った見方ができるかもしれませんよ。この記事では、そんな『ゲド戦記』の分かりにくいあらすじを簡単に解説しつつ、厳しい感想が多い理由や、原作との違い、そして多くの人が知らない物語の謎まで、深く掘り下げていきます。これを読めば、あなたの『ゲド戦記』に対するモヤモヤも、きっと晴れるはずです!
- ゲド戦記のあらすじと結末
- 映画の評価が低い理由を解説
- 原作との違いと原作者の怒り
- テルーの正体など物語の謎
ゲド戦記のあらすじと感想!物語の核心に迫る
物語の簡単なあらすじ
映画『ゲド戦記』は、世界の均衡が崩れ始めた時代を舞台にした物語です。エンラッド王国の王子アレンが、心の闇に苛まれて父である国王を刺し殺してしまうという衝撃的な場面から始まります。国を追われたアレンは、砂漠で狼に襲われそうになったところを、大賢人ハイタカ(真の名はゲド)に救われます。
ここから、アレンはハイタカと共に、世界の異変の原因を探る旅に出ることになります。


二人がたどり着いたホート・タウンという街は、人身売買や麻薬がはびこる荒廃した場所でした。そこでアレンは、人狩りに襲われていた少女テルーを助けますが、彼女からは「命を大切にしない奴は大嫌いだ」と拒絶されてしまいます。
その後、アレン自身も人狩りに捕まってしまいますが、再びハイタカに助けられ、彼の旧友であるテナーの家で世話になることに。そこには、なんとテルーも住んでいました。テナーの家で過ごすうち、アレンとテルーは少しずつ心を通わせていきます。しかし、世界の均衡を崩している邪悪な魔法使いクモが、彼らの前に立ちはだかります。クモは永遠の命を求めており、アレンの心の闇を利用しようと企むのです。
評価がひどいと言われる理由
『ゲド戦記』の感想を調べると、残念ながら「ひどい」「つまらない」といった厳しい意見が目立ちますね。その理由は、主に物語の説明不足と展開の唐突さにあると言えるでしょう。
具体的には、以下のような点が批判の対象となっています。
批判される点 | 具体的な内容 |
キャラクターの行動原理が不明 | 主人公アレンがなぜ父親を殺したのか、その動機が映画の中ではっきりと描かれていません。彼の内面の葛藤が分かりにくいため、感情移入しづらいと感じる人が多いようです。 |
唐突なクライマックス | 物語の終盤、ヒロインのテルーが何の前触れもなく突然竜に変身します。この展開に驚き、「ご都合主義だ」と感じる感想も少なくありません。 |
原作からの大幅な改変 | 原作は壮大なファンタジー小説ですが、映画化にあたり多くの設定が変更・省略されています。そのため、原作ファンからは「これはゲド戦記ではない」という厳しい声が上がっています。 |
声優の演技 | 特にヒロイン・テルー役の手嶌葵さんの演技が「棒読みに聞こえる」という批判がありました。彼女は本職が歌手であるため、演技経験の少なさが指摘された形です。 |


このように、物語の構成やキャラクター描写に対する不満が、低い評価につながっていると考えられます。特に、原作を知らない視聴者にとっては「意味がわからない」と感じる部分が多かったのかもしれません。
物語のラストと結末はどうなるの?
物語のクライマックスで、魔法使いクモはアレンを操り、ハイタカを追い詰めます。しかし、テルーの言葉によってアレンは自分を取り戻し、父の形見である魔法の剣を抜いてクモに立ち向かいます。
激しい戦いの末、クモはテルーを人質に取り、その首を絞めてしまいます。誰もがテルーは死んでしまったと思ったその瞬間、事態は急変します。
死んだはずのテルーが立ち上がり、なんと竜の姿へと変身するのです。竜となったテルーは、圧倒的な力でクモを焼き尽くし、完全に滅ぼしました。


戦いが終わった後、アレンは自分の犯した罪(父殺し)を償うため、故郷のエンラッド王国へ帰ることを決意します。テルーやハイタカたちに再会を約束し、旅立っていくアレンの姿で物語は幕を閉じます。世界の均衡も少しずつ戻り始め、空には竜の群れが飛ぶ、希望を感じさせるラストシーンとなっています。
テルーの正体は竜だったの?
その通り、テルーの正体は、人間と竜の両方の血を引く存在でした。
『ゲド戦記』の世界では、太古の昔、人間と竜は一つの種族だったという設定があります。しかし、価値観の違いから人間と竜は袂を分かち、別々の世界で生きるようになりました。テルーは、その竜の血を濃く受け継ぐ特別な存在だったのです。


映画の中では、この設定に関する詳しい説明が少ないため、彼女の変身が唐突に感じられてしまいます。しかし、いくつかの伏線はありました。
- 冒頭のシーン: 竜同士が共食いをする異常事態が描かれる。
- ハイタカのセリフ: ハイタカが初めてテルーに会った時、「まさかな」と意味深な言葉を呟く。
これらの描写は、テルーがただの人間ではないことを暗示していたのかもしれませんね。彼女が持つ「生」への強い執着と、命を軽んじる者への怒りは、人間を超えた存在である竜の魂に由来するものだったのでしょう。
ゲド戦記の感想を深掘り!原作との違いや謎
意味がわからない点の解説
『ゲド戦記』を観て「意味がわからない」と感じる点はいくつかありますが、特に多くの人が疑問に思うのがアレンの「影」の存在でしょう。
物語の中で、アレンは度々、自分そっくりの「影」に追われます。この影の正体について、映画では「アレンの心の中の『光』の部分が分離したもの」と説明されています。


つまり、本来のアレンの善良な心が「影」となり、心の闇に乗っ取られた肉体を追いかけていた、ということです。これは非常に難解な設定で、一度観ただけでは理解しにくいかもしれません。
もう一つの謎は「世界の均衡がなぜ崩れたのか」という点です。
映画では、魔法使いクモが禁断の魔法を使ったことが大きな原因として描かれています。しかし、それだけではありません。ハイタカのセリフにもあるように、人々の心が荒廃し、麻薬や人身売買が横行するなど、人間自身の欲望が世界の均衡を崩す一因となっていることも示唆されています。クモの存在は、その象徴だったと言えるでしょう。
原作との違いと原作者が激怒したわけ
映画『ゲド戦記』は、原作小説、特に第3巻『さいはての島へ』をベースにしていますが、内容は大幅にアレンジされており、全く別の物語と言っても過言ではありません。この改変が、原作者アーシュラ・K・ル=グウィン氏が激怒した最大の理由です。
ル=グウィン氏は自身のサイトで、映画について「これは私の本ではない。吾朗の映画だ」と述べ、物語の改変を厳しく批判しました。
主な相違点と批判された点は以下の通りです。
項目 | 原作小説 | 映画版 | 原作者の批判 |
主人公 | 大賢人ゲド(ハイタカ) | 王子アレン | 物語の焦点が全く違う。 |
アレンの設定 | 諸国の調査を命じられた真面目な王子。 | 父王を殺害して国から逃亡する。 | アレンの行動原理が理解不能で、原作のキャラクター性を冒涜している。 |
物語のテーマ | 「死」を受け入れ、生と死の均衡を知ること。 | 「生きること」への恐怖と向き合うこと。 | 原作の根幹である哲学的なテーマが、説教くさいメッセージに置き換えられている。 |
物語の構成 | 壮大な旅と内面的な成長を描く。 | 原作の様々な要素を文脈を無視してつまみ食いし、一貫性のないプロットになっている。 | ストーリーに一貫性がない。 |


宮崎駿監督が作るなら、という信頼のもとでアニメ化を許可したにもかかわらず、監督が息子の宮崎吾朗氏に代わったこと、そしてその結果として原作の精神が尊重されなかったことに、ル=グウィン氏は深く失望したのです。
歌詞のパクリ疑惑は本当?
はい、これは事実です。『ゲド戦記』の挿入歌として有名な「テルーの唄」の歌詞について、詩人・萩原朔太郎の「こころ」という詩からの盗作ではないか、という指摘がありました。
この指摘に対し、作詞を手がけた宮崎吾朗監督は、「こころ」から着想を得て作詞したことを認め、謝罪しています。
具体的には、「こころ」の一節である「こころをばなににたとへん」という部分が、「テルーの唄」の歌詞「心を何にたとえよう」と酷似している点などが問題視されました。
これは「パクリ」や「盗作」というよりは、インスピレーションの元とした作品のクレジット表記などを怠った「引用における不手際」であったと言えるでしょう。しかし、映画の公開当時は大きな話題となり、作品の評価に影響を与えた一因ともなりました。
ゲド戦記のあらすじと感想のまとめ
質問(Q):
映画『ゲド戦記』は簡単に言うとどんな話ですか?
回答(A):
心の闇から父王を殺してしまった王子アレンが、大賢人ハイタカと出会い、世界の均衡を崩す悪の魔法使いクモと対決する物語です。
質問(Q):
なぜ『ゲド戦記』は「ひどい」「つまらない」という評価が多いのですか?
回答(A):
物語の説明不足や展開の唐突さ(アレンの父殺しの動機不明、テルーの突然の竜化など)が主な理由です。原作からの大幅な改変も批判の原因となっています。
質問(Q):
ヒロインのテルーの正体は何ですか?
回答(A):
人間と竜の両方の血を引く存在です。そのため、物語のクライマックスで竜に変身する能力を持っていました。
質問(Q):
原作者が映画に激怒したというのは本当ですか?
回答(A):
本当です。主人公の変更やアレンが父を殺すというオリジナル設定など、原作の精神を尊重しない大幅な改変に「これは私の本ではない」と厳しく批判しました。
質問(Q):
物語のラスト、結末はどうなりますか?
回答(A):
竜になったテルーがラスボスのクモを倒し、主人公アレンは自らの罪を償うために故郷へ帰る決意をして旅立つという結末です。
この記事を通じて、『ゲド戦記』がなぜこれほどまでに賛否の分かれる作品なのか、その背景がお分かりいただけたのではないでしょうか。説明不足や原作との違いといった批判点は確かに多いですが、一方で「生と死」や「心の光と闇」といった普遍的なテーマに挑んだ意欲作であることも事実ですよね。厳しい評価の理由を知った上で改めて観てみると、以前とは違った発見があるかもしれませんよ。最後までお読みいただき、ありがとうございました!この機会に、もう一度作品の世界に触れてみるのもいいでしょう。この映画はDVDやBlu-rayの購入、または各種レンタルサービスで観ることができます。