今や声優界のトップランナーであり、歌手や俳優としても大活躍中の宮野真守さん。テレビで見ない日はないくらいですよね!
そんな宮野さんですが、「宮野真守 若い頃」と検索しているあなたは、彼が今の地位を築くまでにどんな道のりを歩んできたのか、気になっているのではないでしょうか?
実は、宮野真守さんの若い頃は、想像以上の苦労と挫折の連続だったみたいなんですよ。
この記事では、宮野真守さんが7歳で劇団ひまわりに入った子役時代から、18歳で声優デビューし、『DEATH NOTE』で大ブレイクするまでの軌跡を、ちょっと深掘りしてみたいと思います。
もちろん、結婚や2023年に発表された離婚の真相、お子さんの情報といったプライベートな話題にも触れていきますよ。
この記事を読めば、宮野真守さんがなぜこれほどまでに多くの人を惹きつけるのか、その原点がきっとわかるんじゃないかなと思います。
この記事のポイント
- 宮野真守の若い頃の経歴
- 子役時代の苦悩と挫折
- 声優デビューとブレイク作
- 結婚と離婚の経緯
宮野真守の若い頃:子役時代と苦悩(基本情報)
7歳で劇団ひまわりへ:キャリアの原点
宮野真守さんのキャリアって、すごく早いんですよね。1990年、わずか7歳(小学1年生)の時に「劇団ひまわり」に所属してたんですから。
お兄さんが先に劇団に入っていた影響みたいです。もともと幼稚園時代から人前で表現するのが好きで、テレビの世界に憧れていた宮野さんにとっては、自然な流れだったのかもしれませんね。
当時のご両親は「自分が今やっていることが好きなら続けなさい」と、彼の意志を尊重してくれていた、と話してました。
小学生での初仕事と舞台経験
宮野真守さんの記念すべき初仕事は、小学1年生の時に出演した西友のCM『西友大市』だったそうです。
その後、劇団ひまわりの本公演にも参加します。特に小学5年生の時に出演した『スクルージ』(クリスマス・キャロルが原作)でのピーター・クラチット役は、すごく評価されたみたいで、彼の役者人生の大きな転機になったと語っています。
この頃はまだレッスンをさぼりがちだったそうですが、なんとなく「僕は役者になるんだ」と、子ども心に思っていたんですね。
宮野真守が語る若い頃の苦悩と挫折
華々しいスタートに見えますが、宮野真守さんの若い頃は、決して順風満帆じゃありませんでした。
高校生になる頃には、周りの子役仲間がどんどん大きな役を掴んでいく中で、自分はオーディションに全然受からない日々が続いたそうです。
「僕は全然ダメだ」「辞めた方がいいのかな」と、強い劣等感やフラストレーションを抱えていたみたいです。特に、子役と言うには難しい年齢に差し掛かって、「売れ残り」みたいに感じて、ものすごく焦っていたと語っています。
この時の挫折と劣等感が、後のハングリー精神に繋がったと、宮野さん自身が分析していました。この経験がなかったら、今の宮野さんはいなかったかもしれませんね。
宮野真守の転機:声優デビューとブレイク(深掘り)
18歳での声優デビュー作『私はケイトリン』
宮野真守さんの若い頃の一番大きな転機は、高校3年生、18歳の時に訪れます。
俳優として伸び悩んでいた時期に、当時のマネージャーから「声優の仕事があるんだけど、オーディション受けてみない?」と誘われたのがきっかけでした。それが、NHK教育の海外ドラマ『私はケイトリン』のグリフェン・ロウ役だったんです。
オーディションに見事合格し、これが彼の声優デビュー作となります。宮野さんは「この仕事に出会えなかったら、芸能人生が終わっていたかもしれない」と振り返っていて、まさに運命的な出会いだったことがわかります。
『DEATH NOTE』夜神月役で大ブレイク
声優デビュー後、PlayStation 2用ゲーム『キングダム ハーツ』のリク役などで少しずつ注目を集め始めますが、彼の知名度を爆発的に上げたのは、やっぱり2006年から放送されたアニメ『DEATH NOTE』ですよね。
主人公・夜神月(やがみ ライト)役を演じたことで、宮野真守さんの名前は一気に広まりました。この作品で彼は声優としての評価をがっちり固めて、2008年には声優アワードで主演男優賞も受賞しています。
宮野さん自身も、この作品に出演していた時に「あ、ちょっと売れたなぁ」と実感したと語っていました。
ちなみに、宮野真守さんが演じた他の有名キャラクターについては、こちらの記事で詳しく解説しています。
宮野真守がブレイク後に再挑戦したこと
声優として成功した後も、宮野真守さんは挑戦を止めなかったのがすごいところです。
『DEATH NOTE』などでブレイクした後、ミュージカル『テニスの王子様』に出演します。でも、そこでまた「うまくいかないな」と感じた彼は、なんと20歳を過ぎてから、もう一度劇団ひまわりの全日制クラスに入り直し、1年間演技の勉強をし直したのです。
この時に出会った演劇講師の教え(メソッド演技法)が、今のお芝居にも通じるターニングポイントになったそうです。ブレイク後も学び直すなんて、本当に真面目な方ですよね。こうした宮野真守さんの若い頃からの真摯な姿勢が、今の活躍に繋がってるんだなと感じます。

